西暦200X年・・・
セカンドライフは閑散としている。
SIMの数が増えすぎたせいか、ユーザーのモチベーションが低下したせいか、
はたまた、メディアの過剰な取り上げとのギャップのせいか、
一時期のSLバブルは過ぎ去り、以前の活気は失われてしまったように感じられる。
簡単に金儲けができると考えた人、新しい可能性を夢見た人、なにげなく舞い降りた人、
多くの人間がこの世界に足を踏み入れ、同じぐらい多くの人間がこの世界から去っていった。
ワタシは、HarajukuというSIMで1年以上、BLUE HEARTS というコミュニケーション空間を運営している。
様々な人間が集まり、語り合い、笑い、そして恋に落ちたりもする、そんな空間である。
本当に沢山の出会いと別れがあった。
こんな場所で生活しているため、ワタシは一般のSLユーザーよりも少しだけ人々の流れに敏感なのかもしれない。
統計的には登録ユーザー数、アクティブユーザー数は増えているという説もあれば、横倍という説もある。
しかし、ワタシの体感としては、やはりセカンドライフは閑散としている。
というのが率直な感想である。
この見解に関しては、それぞれ思うところがあるだろう。
まぁ、ほとんどの一般ユーザーには小難しいこなど関係なく、楽観的にインワールドでの生活を満喫しているが。
(本当はそれが一番大切なのだが、あえて今日は1つ論じてみようと思う。)
あなたは、今のセカンドライフをどのように感じているだろうか?
正直、ワタシは少し前までこのような状況をネガティブにとらえていた。
だから、思うところはあってもブログ等でそのことに触れることはしなかった。
マイナス面だけを評論する人間が嫌いだからだ。
しかし、最近ワタシの中で新しい考え方が生まれはじめた。
一見、閑散としているセカンドライフは、終わりではなく新しい世界への大きな
進化の過程なのだと考えるようになった。
この考えの基になったのは「ウェブ3.0の姿をつかめ:何がキモになるのか?」という記事である。
記事の中でRobert O'Brien氏はウェブの進化をこのように表現している。
「ウェブ1.0は集中化した彼ら、ウェブ2.0は分散化したわれわれ。そしてウェブ3.0は非集中化したわたし」
何のことか全くわからない。
さっぱりサラダ、意味トロロである。
(またいらんことを言ってしまった・・・)
30回ほど読み返してやっとほんのり見えてきた気がした。
そもそも、ウェブ2.0とはどのような世界なのか?
ロングテイル、ユーザー参加型、ブログなどのキーワードを用いてその概念が語られることが多い。
ウェブ2.0の考えを世界で一番最初に取り入れたのは、鳥山明であるとワタシは考えている。
かの有名なアニメのドランゴンボールで最強の技とされた元気玉はまさにウェブ2.0的であると言える。
みんなの元気をちょっとづつ集めて、膨大な力を得るという考え方はウィキペディアと類似する。
これを語り出すと話が拡散してしまうので、ここではあえて深追いせずに先に進もう。
さて、本題である「非集中化したわたし」と定義されたウェブ3.0とはどのような世界なのだろうか?
先ほどの記事でO'Brien氏はこのように追記している。
「(ウェブ3.0は)世界に参加したくないときのわたしに関するものであり、自分の環境に誰を導き入れるかをより強く制御したいというわたしの側面に関係している。ウェブ3.0では、わたしの注意の対象が広がって、自分が注意を払うのは誰か、あるいは何か、そして自分を誰に見せるかということにまで及ぶ。それは、わたしにとってのより効率的なコミュニケーションなのだ。」
ワタシはこの定義が何となく今のセカンドライフと類似する部分があると感じた。
不特定多数の人間とのコミュニケーションは何かしらのストレスがかかる。
できれば社交辞令だけの会話はしたくないし、嫌いな人とは関わりたくない。
大好きなひとに会いたいときに会えて、楽しい仲間とやりたいようにやりたいことができる。
それが一番効率の良い時間の過ごし方なのではないだろうか。
もちろん、国籍も肌の色にも関係なく、多種多様な人種と出会うことができるできるのはセカンドライフの醍醐味だ。
新しい人々と出会い、話をすることは自分を成長させるためにもとても大切なことだ。
身内だけで小さくまとまれという意味ではないし、ワガママ放題で生きていこうという事ではない。
膨大な量の出会いと相互作用があり、最終的に収束してより価値観の会う仲間だけの集合体になるイメージである。
アクセス制限やグループ勧誘という物理的な制御ではなく、エーティーフィールドという心の壁でグルーピングされていくのではないだろうか。
ある人は恋人と2人で過ごせる一軒家で生活し、ある人は自分の故郷を復興させるための地域をもりあげる。
またある人は世界に向けて自分の歌声を発信し、ある人はビジネスのために活動する。
そして、それぞれが創造した場所に価値観をともにする仲間が集まり、より深いコミュニティーが形成されていく。
音楽、ファッション、映画など、自分と同じ価値観をもつ仲間と時間をともに過ごし、たわいもない話でもりあがる。
時には悩みを相談したり、時には喜びや恐怖を共有したりする。
インワールドで出会う仲間とは、社会のしがらみや世間体に関係なく、純粋で楽しい時間を過ごすことができる。
フィルタリングなく交換される密度の濃い情報と、損得勘定のない自然な意思の疎通。
これがワタシにとっての「より効率的なコミュニケーション」という気がした。
時間と距離から開放された、感性の集まる場所 『セカンドライフ』
誕生時は各々が集中し世界の根幹を形成する。次に分散化し、それぞれのプラットホームを築き上げる。
分散化された個々が再びアミノ酸のように結合をはじめ、また新たな世界がうまれる。
人が密集して騒ぐ祭り”だけ”の時代はもうすぐ終焉を迎えるだろう。
もしかすると、もう既に人々はあらゆるツールを利用して、より効率的な『生活』を始めているのかもしれない。
もちろん、そのツールとはセカンドライフだけに限ったことではない。
セカンドライフのような3Di空間は生活のプラットフォームにすぎない。
だから決してそこだけで全てが完結するわけではない。
SNS、ブログ、ニコニコ動画、ユーチューブあらゆるものが人々の生活に一部となり、必要に応じてそれらを使い分ける。
何か1つが良い悪いということではない。
ユーザーは自分の生活をより効率的に、そしてより楽しむために試行錯誤する。
まるでマイケルがアンナ叔母さんのパンプキンパイをほおばるように。
『祭り』から『生活』へ・・・
Second Lifeは既に新しいステージに移行しはじめているのかもしれない。
ワタシはこの現象をSL3.0と定義することにする。
(勝手にやってろ!)
Hiroto Nishi のブログ 「 セカンドライフの歩き方 」
マグスル second life セカンドライフの遊び方マガジン
hiroto 2008/05/08









