セカンドライフとコメント付き動画を比べ、どちらが勝っている、などという記事を目にすることがあった。
もともと二つは、まったく異なるサービスで、比べられるほどの共通点はないように思えるが、Web2.0というまやかしのようなキーワードと、話題になって目に付くサービスという点で比較されたのだろう。
そこで、論じられているのは、同期性ということである。
コメント付動画は、自分の好きなときに視聴でき、コメントがつけられ、それを読むことが出来るため、異なる時間でも同時に楽しんでいるような臨場感を持てるということらしい、これを擬似同期と言われている。
それに対し、セカンドライフは、人と関わり合うためには、世界中どこにいても同じ時間帯に落ち合わなければならない。それが、コミュニケーションしづらいという結果につながっているらしい。
それでは、同じ土俵に上がり、コメント付き動画とセカンドライフを考えてみよう。
単純に言うならば、コメント付動画などの擬似同期とされるものは、量のコミュニケーションであり、対面などを擬似的にするセカンドライフは質のコミュニケーションである。
当然、同じ場所にいて、アバターとはいえ、顔を合わせて話し合うのだから、より深いコミュニケーションが図れる。
ただ、コメント付動画に関しては、コミュニケーションをあえて避けたい、という人の心理も働いているのだろう。
相手のことなど知りたくない、その場だけ騒げればいい、そういった意味での希薄になった人間関係がここには構築される。
もちろん、どちらが優れているなどという結論は出すことができない。人には、好みがあり、それにより自分にあったサービスを選らべばいいのだ。
コミュニケーションの質という、根本的な部分が違うのだから、どちらが流行っている、またはどちらが勝っているなどと論じるのは愚かだ。
コメント付動画は、確かに、多くの人と感情を共有することが出来る。
それは、同じテレビをみんなで見ると楽しいね。という感覚である。
そう思う人たちにとっては、この上なく楽しいサービスになりえてるだろう。
ただ、難点も存在する。
一緒にテレビを見る感覚というのを持ちたいが、『みんな』の定義が違う場合だ。
できることなら、そのような感情の共有は、気心知れた間柄、友達などとしたいと思われる。誰でも、ということは、当然嫌がらせをするような人間も出てくる可能性を含んでいるし、感情を共有できない人間、自分と考えが異なる人間とも見なければならないのだ。もちろん、反対意見も含めて楽しいと思える人もいると思うが、そうでない人にとっては煩わしい事この上ない。
セカンドライフは、そういう部分で、現実においては匿名性があるものの、アバターに関しては匿名性はない。嫌な人間と関わらない方法は選べるし、気心の知れた友達というのも作れる。
また、多くの場合、引き合いに出されるのが利用者の数である。
セカンドライフは、多くの企業参入により、広告的な意味を求められている。それには当然、利用者の数という目に見えるマーケティングが必要なのだ。
人の全然いない過疎の企業SIMなどをあげて、セカンドライフは失敗だ。というようなことも言われる。
一般ユーザーの話をしよう。なぜなら、広告を出すにしても、当然それは一般ユーザーを見越してのことであり、セカンドライフを構築しているのは紛れもなく一般ユーザーだからだ。
現在の技術ではセカンドライフでは、一つのSIM(一台のサーバーが持つ区画)に、100人入るのが限界である。それを多いと見るか、少ないと見るか。
企業などの場合、たかだか100人に広告を打つなんてことは、それほど意味があるとは思えない。しかし、コミュニケーションとしてみたならば、100人の人間と関わるのはとても大変なことである。一度に100人と話をする(一方的に話すのではなく対話をする)のは、不可能である。
もちろん、この100人しか入れないという条件を無条件に礼賛するつもりはない。時間がたてば、インフラなども整い、解消される問題でもある。しかし、それ自体は、それほど大騒ぎするほどのことでもないように思える。
そもそも、常時、人がいなければいけないという考えは無理があるし、それを求めるのは既に広告の範疇を超えている。イベントなどの時に人が集まれば効果は出ているように思える。
セカンドライフの中は閑散としている。という意見は当たっているかもしれない。だからといって、それを単純に欠点だと決めてしまうのは早計な気がする。
企業が、数字というマーケティングでとらえるなら、セカンドライフは、まだ早すぎるメディアかもしれない。
しかし、その数字の密度の濃さは、改めて説明するまでもないだろう。
何万人かに広告を打って、何パーセントかの結果が出たとする。
数字で判断すれば簡単にはじき出せる。
しかし、その何パーセントというものも、一人一人の人間の結果であることを忘れてはいけない。
セカンドライフの向こうには、必ず人がいる。
誰でもない誰かではなく、意思を持った一人の人間である。
もともと二つは、まったく異なるサービスで、比べられるほどの共通点はないように思えるが、Web2.0というまやかしのようなキーワードと、話題になって目に付くサービスという点で比較されたのだろう。
そこで、論じられているのは、同期性ということである。
コメント付動画は、自分の好きなときに視聴でき、コメントがつけられ、それを読むことが出来るため、異なる時間でも同時に楽しんでいるような臨場感を持てるということらしい、これを擬似同期と言われている。
それに対し、セカンドライフは、人と関わり合うためには、世界中どこにいても同じ時間帯に落ち合わなければならない。それが、コミュニケーションしづらいという結果につながっているらしい。
それでは、同じ土俵に上がり、コメント付き動画とセカンドライフを考えてみよう。
単純に言うならば、コメント付動画などの擬似同期とされるものは、量のコミュニケーションであり、対面などを擬似的にするセカンドライフは質のコミュニケーションである。
当然、同じ場所にいて、アバターとはいえ、顔を合わせて話し合うのだから、より深いコミュニケーションが図れる。
ただ、コメント付動画に関しては、コミュニケーションをあえて避けたい、という人の心理も働いているのだろう。
相手のことなど知りたくない、その場だけ騒げればいい、そういった意味での希薄になった人間関係がここには構築される。
もちろん、どちらが優れているなどという結論は出すことができない。人には、好みがあり、それにより自分にあったサービスを選らべばいいのだ。
コミュニケーションの質という、根本的な部分が違うのだから、どちらが流行っている、またはどちらが勝っているなどと論じるのは愚かだ。
コメント付動画は、確かに、多くの人と感情を共有することが出来る。
それは、同じテレビをみんなで見ると楽しいね。という感覚である。
そう思う人たちにとっては、この上なく楽しいサービスになりえてるだろう。
ただ、難点も存在する。
一緒にテレビを見る感覚というのを持ちたいが、『みんな』の定義が違う場合だ。
できることなら、そのような感情の共有は、気心知れた間柄、友達などとしたいと思われる。誰でも、ということは、当然嫌がらせをするような人間も出てくる可能性を含んでいるし、感情を共有できない人間、自分と考えが異なる人間とも見なければならないのだ。もちろん、反対意見も含めて楽しいと思える人もいると思うが、そうでない人にとっては煩わしい事この上ない。
セカンドライフは、そういう部分で、現実においては匿名性があるものの、アバターに関しては匿名性はない。嫌な人間と関わらない方法は選べるし、気心の知れた友達というのも作れる。
また、多くの場合、引き合いに出されるのが利用者の数である。
セカンドライフは、多くの企業参入により、広告的な意味を求められている。それには当然、利用者の数という目に見えるマーケティングが必要なのだ。
人の全然いない過疎の企業SIMなどをあげて、セカンドライフは失敗だ。というようなことも言われる。
一般ユーザーの話をしよう。なぜなら、広告を出すにしても、当然それは一般ユーザーを見越してのことであり、セカンドライフを構築しているのは紛れもなく一般ユーザーだからだ。
現在の技術ではセカンドライフでは、一つのSIM(一台のサーバーが持つ区画)に、100人入るのが限界である。それを多いと見るか、少ないと見るか。
企業などの場合、たかだか100人に広告を打つなんてことは、それほど意味があるとは思えない。しかし、コミュニケーションとしてみたならば、100人の人間と関わるのはとても大変なことである。一度に100人と話をする(一方的に話すのではなく対話をする)のは、不可能である。
もちろん、この100人しか入れないという条件を無条件に礼賛するつもりはない。時間がたてば、インフラなども整い、解消される問題でもある。しかし、それ自体は、それほど大騒ぎするほどのことでもないように思える。
そもそも、常時、人がいなければいけないという考えは無理があるし、それを求めるのは既に広告の範疇を超えている。イベントなどの時に人が集まれば効果は出ているように思える。
セカンドライフの中は閑散としている。という意見は当たっているかもしれない。だからといって、それを単純に欠点だと決めてしまうのは早計な気がする。
企業が、数字というマーケティングでとらえるなら、セカンドライフは、まだ早すぎるメディアかもしれない。
しかし、その数字の密度の濃さは、改めて説明するまでもないだろう。
何万人かに広告を打って、何パーセントかの結果が出たとする。
数字で判断すれば簡単にはじき出せる。
しかし、その何パーセントというものも、一人一人の人間の結果であることを忘れてはいけない。
セカンドライフの向こうには、必ず人がいる。
誰でもない誰かではなく、意思を持った一人の人間である。
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magsl 2007/11/29











