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magslmagsl 2007/06/30

[コラム] セカンドライフ否定論

セカンドライフへのメディアの過熱報道には、正直、苦笑いをしてしまうのだが、その中でも、やはり現れるべく否定的な意見というのは多く出ている。

否定的な意見というのは、実は貴重な意見で、誰もがイエスマンのようになってしまうと、そのコンテンツの成長は止まってしまうものだ。
しかし、現状での否定的な意見をみていると、少し残念に感じる。
それは、否定的な意見を言う人が、セカンドライフをやっていない人の意見だからだ。

表面的な、わかりやすい欠点のみを述べて、それがすべてのように語って終わってしまっている。
私は、セカンドライフをプレイしている時間も長いし、否定的な意見を書こうとすればいくらでもできる。それだけセカンドライフは、まだまだ発展途上なのだ。

セカンドライフというのは、よく次世代のWebなどと言われるが、やはりそれは次世代のという言葉をはずしては語れない。
単純に言ってしまえば、セカンドライフは、誰でも楽しく遊べるゲームではないのだ。

セカンドライフは人を選らぶ。
わかりやすい例としては、パソコンのスペックなどがあげられる。
セカンドライフが要求するマシンスペックは高い。現状、日本において最も一般的に使われているパソコンでは快適には動かないと思われる。
ハイスペックなパソコンを持っている、そういう一部の人間にしかできないこと、さらには、ゲーム性の問題もある。
世間で『ゲーム』と一括りにされるような、明快な目的も、手段も持ち合わせていない。
その中に、自分の中の可能性、面白さを見出した人間だけが遊べるものである。
これは、何かの目的を常に与えられてきた、いわば養殖的に育ってきた人たちには、なかなか対応するのが難しいと思われる。

しかし、考えても見て欲しい。
現在、この世にはさまざまなメディアが存在するが、それがすべて、誰もが喜びを享受できるものだっただろうか?
インターネットもそうだ。
インターネットが産声をあげた頃、パソコンは非常に高価なもので、ほとんどの人間が手にすることがかなわなかった。回線にしてもそうだ。
テレビもラジオもそうだったのではないか。

そもそもの考え違いが『すべての人が喜びを享受されるべき』という考え方である。
そんな必要はないし、そのようなものは存在しない。
現代においても、インターネットをできない人はいるし、できてもやらない人間だってたくさんいる。
当たり前のように誰もができなくてはならない。そう考えることこそが間違いなのだ。
そのハードルは、時代を経れば低くはなるだろう。それでもすべての人が、というレベルにはならない。
むしろ、様々なメディアが乱立する現代において、そういった一方向の考えの方が危険だと思われる。
インターネットをやらないでテレビを見る人がいるように、セカンドライフをやらないでSNSをやる。そういった考え方も当然受け入れるべきである。
セカンドライフは、易しくない。だからと言って易しくすべきであるという意見は、少々暴力的ではないか。

他の欠点についても言及しよう。
人気の場所がエロやカジノばかり。という意見がある。
これについては、まったく欠点だと思わないのだが、どうして欠点になるのだろうか?
『人気』ものを考えて欲しい。『人気』とは、人が欲求し、それを叶えられるという点でなりたつ。
人は、それを欲求しているのだ。もしそれを欠点だと言うなら、そういう欲求をする人間が劣悪であるという風に決め付けてしまっていることになる。
むしろ、あらゆる欲求を受け入れるだけの受け皿をもっているセカンドライフの長所なのではないだろうか。
もちろん、エロ以外にも人気の場所はある。それも、人が欲求するから生まれているだけのことで『人とはこういう場所に行って、こういう行動をすべきである』と決めてかかっている考えに問題があるのではないだろうか。
人々がエロを欲求するなら、それもいい。そういう人もいると思えばよいだけの話ではないのか。
それとも、人気の場所に行かなければならないという強迫観念でもあるのだろうか。
自分に興味がなければ、そこに行かなければいいだけの話である。
インターネットにおいても、エロのサイトはたくさんあるだろう。だからと言って、インターネットが劣悪なのだろうか?
人が欲し、そして人が供給する。それに対して、自分の興味がないからといっていけないことだと決め付ける権利は誰にもない。

そして、さらに欠点としてあげられる問題の一つとして著作権のことがある。
これについては、現時点で法があるために、確実に法の秩序には逆らっているだろう。
しかし、考えてみていただきたい。
ファイル共有ソフトが現れ、ネットの世界の著作権保護の観念は脆弱になっている。
著作権を破ることが素晴らしいとはまったく思わない。
しかし、著作権を守るという方法論に関して、今、考える時期に来ているのではないだろうか。
このまま時代が進めば、著作権などないものとなってしまう時代になりうる。
その前に、きちんとした形で法整備しなければいけない。そのための試金石としてセカンドライフは存在してはいないだろうか。
あらゆるものがデータとして相互に共有し合える時代だからこそ、それに対応するべき考えが出てこなければならない。
紙とインクの時代の法で、無理やりに制御しようということの方が問題だ。
著作権だけでなく、課税などに対しても、新たなる法整備が必要だろう。
それは、いずれ来る時代に必ず陥る問題だ。セカンドライフがなくなったとしても、その問題の根源が消えるわけではない。
いつかは再燃する火種ならば、できるだけ早く対処する事の方が大事なのではないか。

セカンドライフのここがいけない。と、否定するのは簡単だ。
しかし、本当に問題視するならば、それを許容し、包容したあとに、対策を考えればよい。

すべてを門前払いで否定する必要などない。
人と人が介するコミュニケーションとしての側面をもつセカンドライフにとって、一番必要なのは、許容する広い心。
そして、考えて行動する自分の意思ではないだろうか。

セカンドライフには、様々なプレイヤーがいる。ビジネスが目的の人も、コミュニケーションが目的の人も、そのほか、あらゆる価値観でプレイしている人間がいる。
しかし、その中の人々に『なぜセカンドライフをプレイしているか?』という疑問を投げかけてみて欲しい。
一番多い回答は『楽しいから』だろう。

他人の楽しみについて、それを知らない人間が批判をするのは、野暮としか思えない。
できることなら、知った上で、考え、そしてともに解決する手段を見出せばいい。

それは、そんなに難しいことではない。
誰もが可能で、誰もがその権利を持っている。

なぜなら、セカンドライフの中では、誰もが肩書きなどにしばられない、一人のユーザーであり、アバターなのだから。

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