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magslmagsl 2007/03/11

現実的仮想現実

この映画はリアルだ。などと言うように、何かを評価するときにリアルさ。という尺度で語ることがある。
はたしてセカンドライフはリアルなゲームなのだろうか?

今まであまりゲームをしたことのない人たちにとって、セカンドライフでの描写はとても細密で、リアルに思えるかもしれない。
しかし、他の3Dのゲームなどをした人にとっては、荒めのポリゴンが気になる、とてもリアルな描写とは言えないという評価が聞ける。
なるほど、他の3Dのゲームを見てみると、確かに描写力はセカンドライフを遥かに凌ぎ、綺麗な画像が、まるで本物のように流れるさまを見ると、セカンドライフは、その点において後塵を拝していると思える。


ゲームの進化の歴史を紐解けば、それはリアルさ、つまり現実的であることへの挑戦だったのかも知れない。
その、最もわかりやすい例は描写力だ。
ドットで描かれていた平面の画像よりも、きめ細かいテクスチャで表された奥行きのある世界、それこそが求めていた進化の正しい道なのではないか、そう思われていた。
それは、本当に正しいのだろうか?

『不気味の谷』という言葉を聞いたことがあるだろうか?
あんまり聞きなじみのある言葉ではないが、詳しいことは各自調べていただくことにして、大まかに概要を説明すると、ロボット工学において、人間に近い造形のロボットを突き詰めていくと、ある一定以上のところで不気味に感じてしまうのだ。これは、人間が人間を見る時には、ある種のフィルターがかけられて細部まで見ることはなく認識をしていることに対し、精巧に人間に近づけたロボットの場合、その非人間的な部分が浮き彫りになって感じてしまうための嫌悪感だと言われている。
これは、CGにも同様に使われ、ある一定以上の水準で人間に近く作られた人間のCGは、かえってデフォルメされたものよりも非人間的に感じられてしまうことがある。
リアルさを求めた結果、それが災いしてリアルな描写がリアルでないということになる。

こういった事例があるために、CGでの描写などには、リアルである、すなわち現実に近ければよいと言う風には一概に言えなくなっている。

リアルである、ということを考えるならば描写力以外にも考えられることがある。
それは、物理法則であったり、経済であったり、コミュニティの力であったりする。
セカンドライフを表現するときに使われるメタバースという言葉の出典であるスノウクラッシュという小説においては、仮想現実世界メタバースでは、テーブルに足はない。
それは、物理法則がないから必要がないという理由で排除されている。
しかし、セカンドライフの中を見ると、ほとんどのテーブルには足があり、建物には壁や柱があり、物理法則がないにもかかわらず、私たちは、その足かせをわざと履こうとしている。
それは、私たちが、無意識においてでも、現実と言うものを引きずっているからではないだろうか。
現実と言うものを引きずってできた世界、そしてそこに作られる仮想空間。
それは、リアルさを放棄できる世界であるにもかかわらず、最もリアルに近づいた世界なのではないだろうか?
コミュニティや経済などにおいても、現実のように、という意味でリアルにセカンドライフは育っている。
リアルであれば素晴らしい。そんな陳腐な評価をする時代は、もうとうの昔に終わったのかも知れない。

セカンドライフのプレイヤーは現実世界のことをファーストライフや、リアルライフと呼ぶ。
リアルではない世界。リアルであることを拒否した世界。
その環境が作った世界で、リアルさを体感するというのは、皮肉にも感じられる。

 

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