セカンドライフの中での自身のキャラクターのことは、アバターと呼ばれる。
アバターとは、サンスクリット語のアバタール(神や仏の化身)が語源と言われている。
セカンドライフが他のゲームと大いに異なる点は、アバターの外観の自由度にもあると思われる。
既存の用意された造形を変更するだけにとどまらず、大きさ、色、素材、形など、ほぼ考えられる好きな形に容姿を変えることが可能なのだ。
これにより、人はさまざまなアバターでセカンドライフの中で生活を送っている。
プレイヤー自身に似せて作ったもの、また、理想を投影したもの、好きな動物やキャラクター(著作権の問題も当然懸念されるが)、他人のリアクションを楽しむためにあえて奇妙なアバターを使う人までいる。
そのどれもが個性的であり、そのプレイヤーの人間性を投影しているように思われる。
一般的にネカマ(ネットオカマ)と呼ばれる、自分の性別とは違うアバターを選ぶ者も多い。反射的にそういう行為を嫌う人間もいるが、それもその人なりの理由があってのことであるし、安易に否定することはよいこととは思えない。
アバターは、瞬間的に変える事が可能なので、TPOに応じてさまざまな対応をする人もいる。自分で女性用の服を作る際に、試着するために女性にアバターを買えたり、友人たちと動物のアバターで集まって牧歌的な雰囲気を楽しむと言うこともできる。
プレイヤーがはじめてセカンドライフにログインした時には、数種類のテンプレートから選ばれた無個性なアバターである。
そこから、自分の思うアバターに変えていくと言う楽しみ方は、セカンドライフの導入としては理想的かもしれない。
先ほど述べたように、セカンドライフをはじめた時は、誰もが無個性なアバターなのだ。
つまり、人種などの差異はない。ついでに言えば性差別も、階級や学歴などの差別も存在しない。
ある事例として、障害を持つものが、セカンドライフの中では自由に周りの人間となんら変わることなく楽しんで生活を送っていると言うこともある。
これは、ある意味、理想的なことではないだろうか?
人間は、自分と似た集団を形成して、そこから異なるものを排除すると言う社会的な行動をとることがある悲しいことにこれは時には差別につながる。
だが、セカンドライフの中では、このような差別はしようがない。
もちろん、人間のアバターと動物のアバターは違うので、その間に区別はあるかもしれない。しかしそこで相手が持っているのは生まれついてのものではなく、自身が選んだ結果としての区別なのだ。それは、個性の尊重としてコミュニケーションのきっかけにもなりうる。
動物のアバターと言っても、物質として毛皮などを使っているわけではないので、動物愛護の思想を持つものが裸で糾弾することも無意味である。
差別の問題は、簡単には語れない、宗教や思想、言語などによるものがあることは否めない。
しかし、長年人類が問題としていた容姿としての差別の要因が排除された世界。それは、世界が求めた新しい理想の形ではないだろうか?
セカンドライフに生まれたものは、複雑な背景を持つ者ではない。
誰でもないアバター。そしてそこから生まれる個人。
あなたは、何者でもなく、間違いなくあなた自身なのである。
マグスル second life セカンドライフの遊び方マガジン
magsl 2007/01/31










