セカンドライフで、最も多く作られ、販売されているモノ、それは服飾である。その割合、実にセカンドライフ内で販売されているものの中で九割を占めるというから、どれほどの量か計り知ることができない。服飾以外のモノが決して少ないわけではないのだ。ただ、圧倒的に服飾が多い。
セカンドライフは、需要と供給のバランスを無視して存在している世界ではない。ということは、ある程度の需要が確実にあり、そして供給することが決して難しいことではない服飾が多くなっていくのは必然なのかもしれない。しかし、なぜここまでセカンドライフ内で服飾が多くなるのか? それには特別な理由が存在しそうな気がする。
現実の服装のことを考えてみよう。
現実の服装には6つのパターンに影響されるといわれている。
・自分の好み
・流行
・経済性
・品質
・他人からの評価
・コーディネートの仕方
実は、自由に選べるはずの服装でも、これだけのことに影響されているのだ。気にする、気にしないは個人の性質にもよるが、無意識的にも考えられている。どれか一つに偏りすぎることもおかしいし、無視することもできないはずである(してしまってもよいが、それ相応の結果になってしまうだろう)。しかし、セカンドライフの中に戻って考えてみよう。絶対に必要なファクターというものは存在するだろうか?もちろん、ある程度の要素は必要である。しかし、現実よりもより自由なのではないだろうか。
これは、一つの考え方によって答えが見えてくる。
セカンドライフ内のキャラクターは、自分自身でありながら自分ではないのだ。自分自身が投影する趣味性や思考などを反映することは容易にできる、しかし、現実のように、自分自身が受ける恥ずかしさや世間体などの概念においては、少しだけ距離をおくことができる。
例えば、可愛いぬいぐるみが好きだからといって現実で着ぐるみを着て世界を闊歩することは抵抗がある。しかし、セカンドライフの中では、当たり前のようにそれができるのだ。むしろ、セカンドライフの中では、趣味性に特化した個性的な格好というものは周りからも評価される傾向にある。
この距離感こそがセカンドライフの持ちうる特殊な要素なのではないかと思う。サイトやソーシャルネットワークなどよりも自分自身により近く、決して自分の引いた線以上には侵入してこない安全な距離。だからこそ、人々はセカンドライフの中で、自分好みのおしゃれをする。それは、現実世界が持ちうる、少しだけ面倒くさい鎖から解き放たれ、世界を自分の思うように生きられる新しい手段なのかもしれない。
セカンドライフの中に降り立ったとき、私たちは無個性なアバターというキャラクターである。それに、自分自身のカラーを彩るために、自分の趣味や思考を反映させたファッションを手に入れる。自分の好みにバッチリあう品物を見つけたときなど嬉しさもひとしおである。多国籍な、仮想現実という世界の中で、自分とセンスのあう人がいるという人間の体温を感じられる瞬間でもある。
もちろんクリエイターの視点から考えても、それは同様で、人々の要求するものを作りたくなるのは自然である。誰も、欲しがらないものよりも、誰かの欲しがるもの、それは独自の経済流通というものをもった世界というだけではなく、人間と人間の関わりあう世界だからこその考えなのかもしれない。
セカンドライフの中の世界は、遠い非現実的なデータというわけではない。『ここではないどこか』そんな言葉が似合ってしまうような、人間の血の通った世界なのかもしれない。
マグスル second life セカンドライフの遊び方マガジン
magsl 2006/11/23










